『Moj』刊行記念対談

波をめぐって

Special

本記事は、kikuレーベルより発売される、音楽家 内田輝によるクラヴィコードとピアノのCDアルバム「Moj」のリリース記念として企画されたものです。この冬、内田と兼ねてより親交のあった写真家、Everett Kennedy Brownを招き、名古屋の興正寺で開催された演奏会の後の対談を編集してお届けします。

キーワードは、波。それぞれ、音楽と写真、すなわち、音と光という、一種の波、振動を扱うアーティストとして共鳴し合う二人が七年ぶりに再会し、表現における“Deep Time”について語り合いました。

01 振動と情景、そしてシルクロードへ

- 内田輝(以下、内田):今日は、久しぶりにクラヴィコードを聞いていただきましたが、いかがでしたか?

- Everett Kennedy Brown(以下、エバレット):内田くんのクラヴィコードを初めて聴いたのは奈良県の新薬師寺でしたが、今日、お茶室で聴く音色もまたとても新鮮で、時代を超えるような感覚がありましたね。

- 内田:エバレットさんとは、「振動」を扱うもの同士であると思っているんです。僕は音の振動を扱っていて、エバレットさんは光の振動を扱っている。日々、光から教わっていることがあれば聞きたいなと思って。

- エバレット:光は私にとっては、とても眩しいものなんですね。私自身は、視覚に支配されている人間なので、時々、目隠しをしたくなります。やはり、音のように低い繊細な周波数の方が、深い安らぎがある。それを求めている。身体と心の深い部分に響きがある。本当はその視点で写真を撮りたいなと思っています。

- 内田:身体が振動していると感じながら?

- エバレット:身体だけではなく、心もですね。例えば、内田くんの演奏を新薬師寺で聴いた時には、実は神秘的な体験をしました。胸のところに情景が見えたんです。それは、中国の西安の景色でした。

- 内田:僕の演奏会に来てくれる方達は、さまざまな国に旅する体験をされるようです。
ある方は、スペイン。ある方はモンゴルやトルコ。いろんな国がビジョンとして見えるようなんですが、不思議とシルクロードの流れがなんとなく見えてくるんですね。最初は偶然だろうと思っていたんだけど、あまりにも、そのラインの国々を連想される方が多い。

クラヴィコードの音を聞いた時に、聴いた人の脳裏にいろんな国々の情景が浮かぶというのは、さまざまな国で生まれ、それらの楽器の記憶のようなものが皆さんの中にあって、それが、振動を受けると、ぽっぽっと出てくるということじゃないかなと思うんです。楽器という、音が出る振動の道具は、そういうことを人間に問いかけてくるというか。ビジョンを見せる役目があるような気がする。クラヴィコードという楽器は、14世紀にヨーロッパでできたとされています。それ以前には、パイプオルガンが鍵盤楽器として存在していました。それから、韓国、中国、インド、中央アジアからトルコの地方、東欧あたりまで、ハンマーダルシマーという、箱に弦が張ってあるクラヴィコードの原型のような楽器があったようです。

- エバレット:僕も全く同じことを感じています。東と西を繋いだ楽器と音楽には、人の心と心をつなぐ役割がある。シルクロード以前、薬草の道、漢方の道を考えれば3万年以上の歴史を辿ることができます。人間というのは落ち着きのない動物ですから、ずっと新しいところを目指しているでしょう。移動した先で、言葉は通じなくても、音があれば。そこで相手を共感させることができるでしょう。

内田くんがやってる音楽活動は、違いを超えたディープタイムの時間軸を思い出させる役割を果たしていると思います。

- 内田:さっきエバレットさんが、身体の振動だけではなく、心の振動も大切とおっしゃいました。人間が感じる器官というのは様々にたくさんある。思考、身体、五感、その上に心の振動を受ける部分があって、心と魂はまた少し違うレイヤーがあるように思う。言葉や思考だけでは、魂の振動までいけない。それを、言葉以外の響きは乗り越えて、気づかせてくれる。

02「音楽会」以前の世界観をもつ楽器

- 内田:クラヴィコードは、今よりも信仰心のある時代に、信仰心のある人たちの暮らしの中で作られた楽器なので、その精神性は、とても込められているなと思います。昔、ある文献から、修道士がこの楽器を作る時に“わざと音を小さくするための細工”をしていた図面を見つけました。僕、そこが、一番、クラヴィコードの作られた意味があるところだと思っていて。

クラヴィコードは、実は、音を出す楽器という側面よりも、精神的なものにフォーカスを当てて作られたのだという考え方で見ていくと面白い。僕が作ったクラヴィコードは、発音部分に布を巻いて音を抑えているんですけど、当時の修道士たちは、革を巻いてて、僕の演奏する音の半分くらい。つまり殆ど鳴っていない、人間の耳には聞こえていないくらいの音だったはずなんです。それを聴いて彼らがどんなイマジネーションを持っていたかは、想像の域を出ないんだけど、「音は、希釈して薄まっていくほど、より、人間の中に入ってくる」というようなことを考えて作っていたんじゃないかな。クラヴィコードを初めて聞いた時、これは耳で聞くんじゃなくて、皮膚とか丹田とか、内臓とか背骨で聴いた方がよく聴こえるんじゃないかと思ったんです。

- エバレット:やっぱり波動を作る楽器ですね。でもとても繊細な波動、人間の耳では聞こえない周波数を出しているので。でも犬だったら、それが聞こえるでしょう?僕たちにも無限の可能性があるけれど、残念ながら現代人の感性の幅が非常に狭くなっている気がします。

そして、このクラヴィコードは、かなり長い時間をかけて想いを込めて作られている分、その思いや頂いた命の波動も楽器に吹き込まれているでしょう。演奏される時にその魂が音として、自然界に広がっていくんでしょうね。

- 内田:木というのは人間の意識をよく吸う楽器だと思います。石とはまた違うベクトルの意識の吸い方をしている。僕なりの感覚としては、木は中に、空洞がたくさんある。そこに人の意思が入り込む余白がある気がしています。だから、自分がどんな意識で作っているかというのはとても大切にしている。木材を切り出すときも、いただきますというか、感謝していて。逆に木もこちらを見ていて、僕が不遜な態度で向き合っていると、壊れたり、怪我をしたり、しっぺ返しをくらう。

- エバレット:やはり木は生き物ですから、切ってもまだ生きているんです。樹齢500年の木のもとに座っていたとき、500年の命の息吹がまだ残っているということを感じたことがあります。このクラヴィコードにもいろんな記憶があるんでしょう。森の面影も、僕たちには感じられなくてもある。クラヴィコードは、音を鳴らす楽器というよりも、日々の中で、忘れてしまった記憶を思い出させるという役割を強く持っているのだと思います。

03 蜂のように、あるいは筒のように、媒介者として

- 内田:この楽器を作っているとき、作らされているという感覚があります。僕は、蜂と同じ役割をしているのかもしれない。植物が動けないから、蜂が動いて、受粉して、命を繋いでいくように、僕はこの役割をただ全うすればいいんだな、と。木に意思があって、僕はたまたま木に使われているんだなと思うんです。

- エバレット:それは僕たちの共通点じゃないかと思う。表現者として一番良い状態は、自意識が消えて、自然の媒体になっている時だと思います。木が語っている、森が語っている。僕が撮影するときに、なるべく僕が消える。要するに、写真家がいない写真を目指している。

- 内田:全く同じです。ただの筒になるというか。筒になるときのゾーンやきっかけみたいなものがあると思うんですけど、エバレットさんの場合は、何かきっかけはありますか?そういう瞬間はいつ頃、自分の中に起きたんですか。

- エバレット:子どものころから、なぜか泣きそうな気持ちになることがあって。魂、ソウル。これを僕自身初めて感覚を覚えたのは2歳の時でした。服を着るのも嫌いだった。外に行くとすぐに脱いでいた。それで、3歳になったばかりの記憶。夏に服を脱いで、靴を脱いで、川に入ったときの、川の音、水に写っている太陽の光、岩に写っている水影の輝きが、この、生きているという存在感が強烈でした。あらゆる光や葉っぱ、木々から話しかけてくる。

- 内田:服があると枠を感じてしまうというか?

- エバレット:遮断されてしまう。

- 内田:自然との一体感を感じるために子供ながらに服を脱いだんですか?

- エバレット:はい。それから、父親とカヌーに乗った時、山の奥の湖で、誰もいなくてそのカヌーが転覆したんです。父親は泳ぐことができなくて、ボートから水に飛んで、沈んでいく状況の中で上を見上げた時、上から指す光の美しさが印象的だった。この2つの経験から写真家になりたいと思いました。一種のエクスタシーだった。それをずっとあの頃から求めています。外側の世界と内側の世界の境界線がなくなるんです。

内田くんの演奏を聞いた時にも、同じような感覚になりました。写真がキャッチできる世界は粗いけど、音楽はもっと繊細な感覚の領域に人を連れていける。音が先に耳に入り、内臓に入って、音が内蔵で聞こえるようになったら、境界線がなくなるような気がする。チューニング、波長を合わせるとか。昔の人はわかっていたことでしょうけど、これが今では最先端の物理学の世界と繋がっているんでしょうね。

- 内田:エバレットさんが、子どものころに感じたという自然との一体感のようなもの。演奏する時には、そういうところに、まず、僕自身が到達してから、聴いている人たちをその場所へと誘導していきたいという意識が常にあります。

この楽器の仕組みを自分なりに言葉にしてみると。まず、耳に入り、「音が小さいぞ」ってなって、思考に入る、音を認識する、「クラヴィーコードってこんな音が小さいんだ」って認識する。能動的に音を捕まえに行こうとするときに、だんだん、思考から身体に意識が移り始めると、耳が開いて他の感覚が開いて、匂いを感じて、空間に意識がひらく。感覚が開くためには、音が小さいことがとても重要です。身体が音にチューニングしてくるから。音が小さいが故に、すべての細胞が音を受け入れて、身体と音のチューニングが終わっていく。それで音を受けると、周りの音に気付き始める。いろんな周囲の音に気付き始める、普段気づかないような。それはどういう段階かというと意識が広がってるんです。さらに外に、飛行機とか、鳥の声とか、そこまで意識を持っていく。その時に本当に、心とか記憶とか、その振動数と共鳴するところまでこの楽器は聞き手を案内していけるんじゃないかと思います。

だから聞いた人に聞くと、みんな旅をしている。

僕が演奏中、どんな状態で聞いているかというと、外の音をずっと聞いているんです。外の音に自分の身体をチューニングしていって、その状況のまま弾いていくという状態で意識を外に引くほどお客さんの旅の確率は高くなっていくというのを感じる。

シャーマンたちがやっていたように、楽器を使ってトリップさせていく。もちろん、娯楽にもなるけれど、深い精神性をつかみたい人たちの助けにもなる。やっぱり、今の人はぎゅっと狭くなってしまっているから。

- エバレット:そうなんですよ。経済と快楽が中心の世の中だけど、音楽は精神性を清める役割があったので。その意味でとても重要、最先端だと思っているし、物理学にも通じる。感性の軸を広げている。